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宇都宮地方裁判所 昭和30年(行)3号 判決

原告 岩崎安弥

被告 栃木市教育委員会

主文

原告の本件懲戒免職処分が無効であることの確認を求める請求はこれを棄却する。

被告栃木市教育委員会(市町村合併が行われる以前は皆川村教育委員会)が昭和二九年三月一日附を以て原告に対してなした懲戒免職処分はこれを取消す。

訴訟費用は全部被告の負担とする。

事実

第一原告の主張

(請求の趣旨)

「被告栃木市教育委員会(市町村合併の行われる以前は皆川村教育委員会)が昭和二九年三月一日附を以て原告に対してなした懲戒免職処分は無効であることを確認する。)若し右請求が許容されない場合は「右懲戒免職処分はこれを取消す。」、並びに「訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求める。

(請求の原因)

(一)  原告は昭和三年三月栃木県師範学校を卒業し、昭和五年一二月迄栃木県内に奉職、昭和六年一月樺太庁に出向樺太公立学校に勤務し、昭和二二年七月栃木県に戻り、同県下都賀郡赤麻村立赤麻中学校(以下赤麻中学校と称する)教諭に補せられ、昭和二五年三月同郡皆川村立皆川小学校(以下皆川小学校と称する)教頭に補せられた。

(二)  原告は、昭和二九年一月二日赤麻中学校において催された同校卒業生同窓会に招かれ、会終了後知人宅にて同郡三鴨村立三鴨中学校教諭平彰丸外数名と酒宴を張り、深酔して前後不覚の失心状態に陥り、其の夜平彰丸に連れられて赤麻中学校宿直室に運び込まれ就寝中、翌三日同宿直室より出火し、校舎三棟を焼失した。

(三)  皆川村教育委員会は、原告を右火災の責任者であるとして、同年三月一日附を以て、地方公務員法第二九条第一項第三号の規定により懲戒免職処分にした。

(四)  然し乍ら、皆川村教育委員会がなした右懲戒免職処分(以下本件懲戒処分と称する)は次の理由により違法無効なものである。

(1) 本件懲戒処分には次のように重大な手続上の瑕疵がある。

(イ) 教育委員会がその権限に基づき、所管する教育機関の職員の任免その他の人事に関する処分をするには、法の定める教育委員会の会議を経なければならないのに拘らず、皆川村教育委員会は何等委員会の会議を経ることなく本件懲戒処分をなしたものであつて違法である。

(ロ) 仮に被告主張の如く昭和二九年一月一六日の皆川村教育委員会の会議によつて本件懲戒処分が議決せられたとしても、当時施行せられていた教育委員会法(昭和二三年法律第一七〇号)第三四条第三項第四項によれば「会議開催の場所及び日時は、会議に付議すべき事件とともに、委員長があらかじめこれを告示しなければならない。招集は、開会の日前、地方委員会にあつては三日までに、これを告示しなければならない。」と規定されているのに拘らず、皆川村教育委員会委員長厚木藤吉郎の名で昭和二九年一月一三日附でなされた同委員会の会議招集の告示には、会議に付議すべき事件が全く表示されていない違法があり、且つ一月一三日附で同月一六日に会議を招集する旨告示したのは、法定の告示期間を遵守しない違法がある。

(ハ) 教育委員会法第三七条第一項によれば「教育委員会の会議は、これを公開する。但し、委員の発議により出席委員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。」と規定されているのに拘らず、本件懲戒処分を議決した皆川村教育委員会の会議は、当初から何等の議決によることなく秘密会非公開で行われた違法がある。仮に、秘密会開催の議決がなされたとしても、右議決は同村教育長渡辺茂里の発議によるものであるから、右第三七条第一項但書に違反し、発議権のない教育長の発議に基いてなした右議決は違法である。

(ニ) 教育委員会法第三九条の二第一項によれば「教育委員会の会議の次第は、すべて会議録に記載しなければならない。」と規定されているのに拘らず、本件懲戒処分を議決した皆川村教育委員会の会議録は存在しない。而して教育委員会の会議の次第は会議録によつてのみ証明さるべきものであるから、会議録が存しない以上、右会議が適法有効に行われたとすることはできない。

(ホ) 公務員に対する懲戒処分は公正でなければならない(地方公務員法第二七条第一項)。又、原告は教育公務員であつて、教育基本法第六条第二項により、その身分は尊重せられ、その待遇の適正が期せられなければならない。従つて原告のような公務員を懲戒処分に付するに当つては、特に慎重を期し、万全の注意と最大の努力を払つて事実の調査をなし、資料を収集し、しかるのち事を処理すべきであるに拘らず、皆川村教育委員会は、原告を懲戒処分するにつき、処分の理由となつた事実について調査らしい調査もせず、資料らしい資料も全く収集していない。のみならず、処分される原告本人の陳弁説明を聞くことなく、面接もしていない。結局右委員会は関係ない部外者の根拠のない風聞、助言等に動かされ、しかも軽卒にも僅か一回の会議で最も重い懲戒免職処分にしたものである。かように、慎重な手順を経ず確たる調査資料に基づかず原告の陳弁も聞かないで原告を懲戒処分したのは、全く妥当性を欠き条理に反することが明らかで、地方公務員法第二七条第一項に違反するのみならず、ひいては同法第一三条、教育基本法第六条第二項、憲法第一一条乃至第一四条、第三一条の趣旨にも反するものである。

(2) 皆川村教育委員会は、原告に地方公務員法第二九条第一項第三号に該当する事由があるとして、本件懲戒処分をなしたのであるが、原告には右条項に該当するような事実は存しない。しかるに皆川村教育委員会は、原告に処分される事由がなく又かゝる事由が存するという証拠もないのに、不当不法にも原告を懲戒免職という最も重い処分にしたのであるから、本件懲戒処分は地方公務員法第二七条第一項第三項第二九条第一項に違反する無効のものである。

(五)  本件懲戒処分をなした処分庁は皆川村教育委員会であるが、昭和二九年一〇月一日市町村合併により皆川村が栃木市に合併となり、皆川村教育委員会は栃木市教育委員会に事務を引継いで解散した。よつて、原告は被告栃木市教育委員会に対し、本件懲戒処分の無効確認を求めるものである。

(六)  仮に前記各違法事由が無効事由に該当せず、従つてこれが無効確認を求める請求が理由ないとしても、瑕疵ある行政処分として取消事由に該当することは明らかであるから、本件懲戒処分は取消さるべきものであり、原告は昭和二九年三月二七日不利益処分に対する審査請求を皆川村公平委員会に提出し、同公平委員会は栃木県人事委員会に事務を委託したので、同人事委員会は審査の上同年九月二九日附を以て皆川村教育委員会の処分を承認するとの判定をなした。そこで原告は皆川村教育委員会より事務を承継した被告栃木市教育委員会に対し、右処分のあつたことを知つた日から六ケ月以内である昭和三〇年三月二六日に本件懲戒処分の取消を求めるため本訴を提起した。よつて予備的に原告は被告栃木市教育委員会に対し、本件懲戒処分の取消を求めるものである。

(被告の主張に対する原告の反駁)

(一)  被告は昭和三四年八月一九日以前の口頭弁論においては、本件懲戒処分に関し皆川村教育委員会が会議録を作成しなかつたことは争わない旨自白して来たのであるから、右自白の取消には異論があり、該会議録は後記証拠抗弁において述べるように、後に至つて偽造されたものである。

(二)  仮に右異議が認められないとしても、右会議が作成されていたとの被告の主張は被告の重大な過失に基き時機に遅れて提出した防禦方法で、訴訟の完結を遅延せしめるものであるから、当然却下されるべきものである。

(三)  仮に右申立が認められないとしても、被告主張の昭和二九年一月一六日の会議録には「委員長厚木藤吉郎は午前一一時より秘密会に入つた」とだけ記載されているのみで、教育委員会法第三七条に定める適法な秘密会開催の経過が全く記されていない。かかる会議は皆川村教育委員会規則第一九条第四乃至第六号及び第八号に違反するから適法な会議録ということはできない。

(四)  被告の主張する懲戒処分の事由となつた事実はすべき否認する。仮に被告主張の事実が存したとしても次の理由で地方公務員法第二九条第一項第三号には該当しない。

(1) 右法条に規定する「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」とは、職務に関して又は職務に関連して為された非行を指称し、純粋な私行に及ぶものではない。本件懲戒処分の事由はすべて原告の全く個人生活の分野に属する行為であつて右法条には該当しない。

(2) そして仮に原告が土足で赤麻中学校宿直室に入つたとしても、それは原告が泥酔の上心神喪失の状態において行つたもので、原告が私生活において泥酔するほど飲酒しても、そのこと自体非行とはいゝ難く、その結果被告主張のように土足で上つたとか、或は学生や青年に暴言を吐いたとしても、その程度では右法条にいう「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」とはならない。

(3) なお仮に原告が宿直員栃木英作に対し「俺が寝るから出て行け」と述べたため、同人が宿直室から退去したとしても、原告は口では何んと言おうとそのまゝ寝てしまつたのであつて、暴力を以て追い出したものではない。およそ宿直員はその職務に従事する限り、全然命令系統外の者から出て行けといわれても職務を離れることは許されないことであつて、栃木英作は原告から何んといわれようともその場に止まつて適切な職務を遂行すべき義務を有するものであり、泥酔している原告から出て行けと云われて出て行つてしまうようでは、宿直は有名無実となつて了うから、斯る無責任な宿直員こそ職務中その職場を放棄したものとして、全体の奉仕者にふさわしくない非行があつたものと言わねばならない。従つて火災を未然に防止し得なかつたのは、同人が宿直の職務を不当に放棄したからであつて、原告の所為はその泥酔振りに対しては道義的に批判されるとしても、決して前記法条に該当する非行とはいゝ難い。

(4) また本件火災は、原告のかぶつていた布団が火鉢の炭火に触れて発生したというが如きは、単なる想像であつて何等の証拠も存しないが、仮にそのような事実があつたとしても、原告の故意に基く火災であるといゝ得ないことは明白で前記法条にいう「非行」とは、故意のみを指称し過失は含まれないと解するが故に、失火換言すれば原告の過失の責任を追及して、前記法条に該当する非行として原告を懲戒免職処分にしたのは不当であつて許されない。

第二被告の主張

(請求の趣旨に対する答弁)

「原告の請求はこれを棄却する」との判決を求める。

(請求の原因に対する答弁及び主張)

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

同(二)の事実のうち、昭和二九年一月二日夜原告が赤麻中学校宿直室に宿泊したこと、同日午後一一時四〇分頃右宿直室から出火し翌三日午前二時頃まで赤麻中学校校舎三棟を焼失したことは認めるが、その余は不知。

同(三)の事実は認める。

同(四)の事実はいずれも否認する。

同(五)の事実は認める。

同(六)の予備的請求原因事実のうち本件懲戒処分が瑕疵ある行政処分として取消さるべきであるとの点は否認し、その余は認める。

(二)  本件懲戒処分は皆川村教育委員会が適法な手続のもとに正当な理由があつて行なつたものであるから、無効でないことは勿論、取消原因もない。すなわち昭和二九年一月一六日に開催された皆川村教育委員会の定例会議において原告に対する懲戒免職処分の決議がなされ、次いで同月二七日同教育委員会の臨時会議において右一月一六日の決議を再確議し、処分が決定したものである。従つて本件懲戒処分に関し原告主張の如き手続違背は存しない。

(三)  なお昭和三二年一〇月八日、昭和三三年二月一三日、同年一二月二三日、昭和三四年六月二四日の各口頭弁論において、本件懲戒処分に関する皆川村教育委員会の会議録が存在しないことを認めたのは、錯誤に基き、かつ真実に反するものであるからこれを取消す。右会議録はいずれも作成されている。

(四)  原告を懲戒免職処分に付した事由は次のとおりである。

昭和二九年一月二日午後一一時四〇分頃赤麻中学校の宿直室から出火し、翌三日午前二時頃までの間に赤麻中学校同小学校校舎六四五坪を焼失し、約三、六〇〇万円の損害を蒙つた。右火災発生の事情を精査すると、これに関連し原告に次の如き所為の存することが明らかとなつた。

(1) 原告は火災発生の当日午後九時頃泥酔の上三鴨中学校教諭平彰丸と共に赤麻中学校宿直室に土足のまま侵入した。

(2) 原告はその際偶々宿直室に居合せた栃木県立栃木商業高等学校生徒五名の青年に暴言を吐きあばれた後、彼等を追い出し宿直室の寝具に就寝した。

(3) 火災は原告がかぶつていた布団が偶々部屋の中にあつた火鉢の炭火に触れて発生したものと認められる。

(4) 火災発生の一月三日午前零時三〇分頃、赤麻小学校公仕筑井ノブ、赤麻中学校公仕高際スイが物の焼ける臭気を変に思い、赤麻中学校同小学校の校舎を巡視中、前記宿直室のある赤麻中学校の二階建校舎の南入口の扉を開けたところ、火災が起きており、そこに原告がいて「火事は大丈夫、火事は大丈夫。」といゝ、その後人々が懸命に消火に努めているのに拘らず校外に立去つてしまつた。

(5) 当日の赤麻中学校の宿直担当者は訴外栃木英作であつたが、午後九時頃原告が泥酔して宿直室の寝具に就寝したので、栃木英作は原告に退去を求めたところ、かえつて原告から「貴様何をいうか、俺が寝るんだから貴様出て行け。」と暴言をあびせられたので、栃木は原告が以前同校に勤務したことがあり、且つ先輩でもあるので、それ以上強く退去を求めることができずに己むなく宿直の任務を放棄せざるを得なかつたもので、若しも原告のかかる所為がなかつたならば、栃木英作もその責任を放棄しなかつたであろうし、又宿直室から火災が発生することもなかつたであろうと認められる。

以上の事実が存する。

およそ公務員は地方公務員法第三三条の定めるところにより、その職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない義務を負つているのであるが、原告がなした前記の如き所為は、明らかに教育公務員としての信用と名誉を傷つけるものであり、且つ自己の人格によつて児童生徒の全人的の指導育成に当る教育公務員としてはふきわしくない非行であつて、地方公務員法第二九条第一項第三号に該当し、しかも火災の結果校舎三棟合計六四五坪が焼失するという大事が発生し、教育上に及ぼした影響は重大であつて、原告は教育公務員であるのに、その失態から学校を焼失し教員本来の職務である児童の教育に重大な支障を生ずるに至らしめたことは、その情状重きものがあるから、原告を懲戒処分として免職させたことは相当である。

第三証拠〈省略〉

理由

第一(当事者間に争のない事実)

原告が皆川村公立学校教員で、皆川小学校教頭として勤務していたものであること、原告が昭和二九年一月二日夜赤麻中学校宿直室で就寝中同宿直室より出火し、校舎三棟を焼失したこと、皆川村教育委員会は、原告を右火災の責任者であるとして同年三月一日附を以て、地方公務員法第二九条第一項第三号の規定により懲戒免職処分にしたこと、原告は同年三月二七日皆川村公平委員会に不利益処分に対する審査請求をなし、同公平委員会は栃木県人事委員会に事務を委託したので、同人事委員会が審査をした上、同年九月二九日附を以て皆川村教育委員会の処分を承認する旨の判定をしたこと、同年一〇月一日市町村合併により皆川村が栃木市に合併となり、皆川村教育委員会は栃木市教育委員会に事務を引継いで解散したことなどは当事者間に争がない。

第二(本件懲戒処分の手続上の瑕疵の有無について)

(一)  原告は皆川村教育委員会のなした本件懲戒処分には重大な手続違背が存するから右処分は無効又は取消さるべきものであると主張し、被告は適法になされたものであると主張する。

およそ教育委員会は合議制の行政機関であるから、その所管する教育機関の職員の任免その他の人事に関する処分をするには、法の定めるところに従い会議を経なければならない。当時施行されていた教育委員会法(昭和二三年法律第一七〇号。なお同法は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律昭和三一年法律第一六二号附則第二条により昭和三一年九月三〇日限り廃止されたので、以下旧教育委員会法と称する)によれば、教育委員会の会議は、教育本来の目的を達成するため、教育行政の公正を確保し、これに民意を反映し、地方の実情に即した教育行政を行わんとする目的(同法第一条及び教育基本法第一〇条)に従い、民主的に運営されなければならないのであつて、会議の予告主義(同法第三四条第三項第四項)と公開主義(同法第三七条)の原則が貫かれ、又会議の次第はすべて会議録に記載されなければならない(同法第三九条の二第一項)とされているのは、いずれもその目的の実現を企図したものであり、従つてこれらの規定は単なる訓示的意味を有するものではなく、その違背は瑕疵の程度により当該行政処分の無効又は取消の原因になるものというべきである。

そこで原告の主張する手続違背の有無につき以下に順次判断する。

(二)  まず原告は、皆川村教育委員会は何等委員会の会議を経ることなく本件懲戒処分をなした旨主張し(請求原因(四)の(1)(イ))、これに対し被告は、昭和二九年一月一六日に開催された皆川村教育委員会の定例会議において原告に対する懲戒免職処分の決議がなされ、次いで同月二七日同教育委員会の臨時会議において右一月一六日の決議を再確認し処分が決定したものである旨主張する。

そこで本件懲戒処分がなされるに至つた経緯及び右処分に関する皆川村教育委員会の会議内容について検討するに、成立に争のない甲第三号証の一乃至三、証人渡辺茂里(第四回)、同片山誠一郎(第二回)の各証言により成立が認められる乙第一四号証(なお乙第一四号証に対する証拠抗弁については、後に判断するとおりである。)と、証人渡辺茂里(第一乃至第四回)、同栃木喜三郎、同巻島雄作、同野原保蔵、同片山誠一郎(第一、二回)の各証言を綜合すると、次の事実が認められる。

(1)  皆川村教育委員会委員及び事務当局は、昭和二九年一月二日夜半発生した赤麻中学校の火災が、皆川小学校教頭の職にある原告が赤麻中学校宿直室に就寝中同室より出火したことに因るものであることを知り、同月四日皆川村役場に教育委員全員が参集し、これに渡辺教育長も加わつて善後策を協議し、取り敢えず田村、巻島委員等が赤麻村に見舞に赴き、被害現場の情況を視察した。

(2)  当時皆川村及び赤麻村村民の間には、教頭という要職にある原告の所為が原因となつて中学校を焼失したとして、原告の厳重な処分を望む空気が強く、教育委員等の間でも詳細な事実調査をするまでもなく原告の責任は免れないとの考え方が支配的であつたことと、他方原告は失火容疑で身柄を勾留され、宇都宮地方検察庁栃木支部で取調を受けており、原告を処分すれば情状酌量されて釈放されるかも知れないとの推測もあつたので、早急に原告の懲戒処分を議決する必要があるとして非公式な協議を重ねた末、同月一三日附で、定例会を同月一六日午前九時皆川村役場会議室に招集する旨厚木委員長の名を以て告示し、各委員に対し招集の通知に代えて告示の写を交付した。

(3)  同日の委員会は午前九時頃より栃木委員を除く各委員、渡辺教育長、片山書記出席の上開催せられ、原告の懲戒処分に関しては秘密会として協議し、原告を懲戒免職処分に付すべきものと意見の一致をみたが、当時村教育委員会は事実上県教育委員会の指導助言を得て教育行政を実施していた関係から県当局へ禀議する必要があり、且つ原告と共に懲戒処分の対象となつていた赤麻中学校教員栃木英作に対する赤麻村教育委員会の処分決定・発令日附・方法等につき歩調を合わせたいとの考慮から、最終的な議決はこれら関係機関との協議完了後に行うこととなつた。

(4)  そのため同月二七日県当局の指導、助言のもとに、原告及び栃木英作の懲戒問題につき、皆川、赤麻両村教育委員が栃木県教育委員会下都賀出張所に参集して協議した上、直ちに同日同所図書室において、全委員出席のもとに皆川村教育委員会臨時会を開催し、原告を地方公務員法第二九条第一項第三号の規定により懲戒免職処分に付すること、これがため昭和二九年一月二七日解雇の予告をすること、処分はこれより一ケ月を経過した二月二八日附を以て行うことが議決せられた。

(5)  そして右議決に基づき、同年一月二八日原告に対し同年三月一日附を以て懲戒免職処分にする旨通知した。

以上の事実を認定することができ、前掲各証言中右認定に牴触する部分はいずれも措信せず。殊に右認定に反し「原告を本件懲戒処分に付するための会議に出席したことはないし、どのような手続で原告が免職になつたか知らない。」旨の証人厚木藤吉郎、同田村宰作の各証言は、他の証拠と矛盾し、又証人片山誠一郎(第一回)の証言によれば、本件懲戒処分後厚木委員長は神軽衰弱症、田村委員は高血圧症に罹り、いずれも病床に臥し、且つ老令も加わつて本件懲戒処分に関する正確な記憶を喪失しているのではないかとの疑があるので、措信できず、他に右認定を動かすに足る証拠は存しない。

而して以上の認定事実によれば、昭和二九年一月一六日に開催された皆川村教育委員会の定例会議において原告を懲戒免職処分に付する旨内部的な意見の一致をみたが、最終的な議決は県に禀議し且つ赤麻村教育委員会とも打合せてからということで議決までに至らず、同月二七日の皆川村教育委員会の臨時会議において右の旨の最終的な議決がなされ、原告を懲戒免職処分に付する旨の行政処分がなされたものと認められる。従つて皆川村教育委員会は何等委員会の会議を経ることもなく本件懲戒処分をしたとの原告の主張は採用できない。

(三)  次に原告は、前記一月一六日の会議招集の告示には、会議に付議すべき事件が全く表示されていない違法があり、且つ一月一三日附で同月一六日に会議を招集する旨告示したのは法定の告示期間を遵守しない違法があると主張する(請求原因(四)の(1)(ロ))。

然し乍ら前記認定事実によれば、右一月一六日の会議においては最終的な意思決定は行われなかつたのであり、同月二七日の会議の議決によつて原告を懲戒免職処分に付する旨の行政処分がなされたのであるから、一月一六日の会議に原告主張の如き瑕疵が存したとしても、同月二七日の会議において適法な手続のもとに議決がなされていれば、右行政処分に瑕疵があるということにならない。

従つて問題は、前記一月二七日の会議が適法な手続のもとに開催されて本件懲戒処分の議決をしたか否かに存すというべきである。

而して旧教育委員会法第三四条第三項には「会議開催の場所及び日時は会議に付すべき事件とともに、委員長があらかじめこれを告示しなければならない。」旨規定され、又同条第四項には「招集は、開催の日前、都道府県委員会にあつては七日、地方委員会にあつては三日までに、これを告示しなければならない。但し急施を要する場合はこの限りでない。」旨規定されている。このように会議開催の告示が要求せられるのは、前述の如く教育行政の公正を保持し、これに民意を反映し地方の実情に即した教育行政を行わんとする教育委員会の目的を達成するため、会議が何時、どこで、何について開催されるかを一般に周知させ、住民に対して傍聴の機会を与えることによつて、会議の予告主義と公開主義の原則を貫き、その実効を期せんとするものであるから、右会議招集に関する規定は会議招集の必要的要件を定めたものというべきである。

ところで、証人渡辺茂里(第四回)、同片山誠一郎(第二回)の各証言により成立が認められる乙第一四号証(右書証に対する原告の証拠抗弁は後記の理由により認められない)と、証人渡辺茂里(第四回)、同片山誠一郎(第二回)の各証言によれば、前記一月二七日の会議は、栃木英作に対する赤麻村教育委員会の処分決定・発令日附・方法等と、原告に対する皆川村教育委員会のそれとの歩調を合わせるため、栃木県教育委員会下都賀出張所において両村教育委員が協議した上、直ちに同所図書室で臨時会として開催されたものであり、このように右協議会終了後に臨時会を開催して本件懲戒処分の議決をすることは前以て予定されていたことであつて、当日になつて急に臨時会を開催すべき事態が発生したものでないことが認められるから、前以て招集の予告をした上で臨時会を開催することに何等障害が存しなかつた筈であり、また本件懲戒処分がその性質上三日の猶予期間をおいて議決したのではその議決の実効を収め得ないような緊急性あるものとは到底認められない。而して旧教育委員会法第三四条第四項但書の「但し急施を要する場合は、この限りでない。」との規定は、本案の趣旨及び条文の位置からして、同条第三項にはかゝらないで同条第四項本文のみにかゝることが明かであり、従つて急施を要する場合でも告示期間を短縮することは許されるが、告示を全く省略してしまうことは許されないというべきである。然るに前記乙第一四号証によれば、同日の会議録には「緊急会議のため告示省略」と記載されているから、同日の会議については適法な告示がなされなかつたことが明らかであり、他に右認定を動かんに足る証拠はない。この点につき証人渡辺茂里(第四回)は「一月二七日の会議を告示しなかつたのは臨時会であつたからで、止むを得ない場合にはそのような処置がとれるという考えであつた。」と証言しているが、臨時会であれば告示を省略できるという法律上の根拠は存しない。

そうすると一月二七日の臨時会は適法に招集されたものではなく、かゝる不適法な会議においても議決せられた本件懲戒処分もまた当然に違法たるを免れないというべきである。

而して懲戒処分の議決をなした会議が正規の招集手続によらない不適法な会議であるときは、かゝる会議において議決された懲戒処分もまた当然に違法たるを免れないこと前示認定のとおりであるが、本件会議招集手続の違背は、会議の開催を一般に周知せしめるための告示を欠いた点のみに存し、招集手続の最も重要な要件と考えられる会議の構成員全員に対し会議に参加し得べき機会を与えなければならない点については、前記認定の如く、「栃木委員を除く各委員出席のもとに開催された前記一月一六日の会議において、県当局への禀議と赤麻村教育委員会との打合せ後に、再び会議を招集して原告に対する懲戒処分の議決をなすべき旨の合議が成立し、」その上で栃木委員を含めた構成員全員出席のもとに前記一月二七日の会議を開催して本件懲戒処分が議決せられたのであるから、これを満たしていると認められ、従つてその瑕疵は懲戒処分の取消原因たることは免れないが、その無効原因を招来すべき重大な瑕疵ということはできない。

ちなみに右の点に関して原告は、一月一六日の会議において本件懲戒処分がなされたものとして、右会議の招集手続が旧教育委員会法第三四条第三項第四項に違反する旨を主張しているのであるが(請求原因(四)の(1)(ロ))、原告の主張せんとするところは、要するに皆川村教育委員会がなした本件懲戒処分に重大な手続違背が存することを主張するのであるから、当裁判所において本件懲戒処分がなされたのは一月二七日の会議であると認定し、右会議の招集手続が右法条に違反すると認定しても、原告の主張しない事実を認定することにはならない。

(四)  次に原告は、本件懲戒処分を議決した皆川村教育委員会の会議は、適法な秘密会に付する議決を経ることなしに終始非公開のまゝでなされ(請求原因(四)の(1)(ハ))、且つ教育委員会の会議次第はすべて会議録に記載しなければならないのに拘らず、右会議では会議録を作成しなかつた違法がある。(請求原因(四)の(1)(ニ))と主張し、これに対して被告は、昭和三二年一〇月八日、昭和三三年二月一三日、同年一二月二三日、昭和三四年六月二四日の各口頭弁論において、右会議録を作成しなかつたことを認めていたことは記録上明らかであるが、同年八月一九日の口頭弁論において、被告は、右自白は錯誤に出でかつ真実に反するものであるからこれを取消すと主張し、立証として乙第一三・一四号証(会議録)を提出した。これに対して原告は、右自白の取消に異議を申立て、右書証は偽造に係るものであると主張し、仮に右異議が認められないとしても、右会議録が作成されていたとの被告の主張は被告の重大な過失に基き時機に遅れて提出されたもので、訴訟の完結を遅延せしめるものであるから却下さるべきものであり、仮りにそれが容れられないとしても、被告主張の昭和二九年一月一六日の会議録には教育委員会法第三七条に定める秘密会開催の経過が全く記載されておらず、また皆川村教育委員会規則第一九条第四乃至第六号及び第八号にも違背するから、適法な会議録ということはできない、と主張する。

(1)  よつてまず会議録が果して作成されていたか否かを検討するに、証人栃木喜三郎、同巻島雄作、同野原保蔵、同渡辺茂里(第二、三回)、同片山誠一郎(第一回)の各証言によると、「一月一六日の委員会の会議は、議題が人事に関するものであつたため秘密会として非公開の状態で行われ、原告を懲戒免職処分に付する旨議決せられたが、同日の会議録は作成されなかつたし、これを署名したこともない。これは同委員会事務局の片山書記が、渡辺教育長の秘密会の次第は会議録に記載しないようにとの指示を誤解して、当初から会議録の作成をしなかつたものである。」というのであるが、乙第一三・一四号証が提出せられた後の口頭弁論期日において、証人渡辺茂里(第四回)、同片山誠一郎(第二回)は「前の証言は記憶違いで、一月一六日及び同月二七日の二回の会議に原告の懲戒処分が議題とせられたが、これについては片山書記がいずれも会議録を作成して委員の署名を受けていたもので、乙第一三・一四号証がその会議録である。」と証言を変更した。従つて被告の自白が果して錯誤に基き真実に反するものであるか否かは、乙第一三・一四号証が真正に作成せられたものであるか否かによつて判断すべきである。

(イ)  ところで、乙第一三号証(一月一六日の会議録)には、副委員長田村宰作、委員巻島雄作、書記片山誠一郎の署名があり、乙第一四号証(一月二七日の会議録)には委員栃木喜三郎、同巻島雄作、書記片山誠一郎の署名があるが、これらの署名と当裁判所に保管されている「昭和二七年一一月以降皆川村教育委員会会議関係綴」の中に存する他の会議録に記載されている同人等の署名とを対照し、且つ証人片山誠一郎(第二回)の証言を総合すれば、右署名はいずれも名義人本人の自署であることが認められる。

(ロ)  しかるに一方本件記録によると、原告代理人が皆川村教育委員会の会議録の提出命令を求めたのは昭和三二年五月九日の口頭弁論の際であり、これに対して被告代理人は取調べの上次回に提出すると述べたが、次回期日たる六月一八日は職権により一〇月八日と変更され、この一〇月八日の口頭弁論において被告代理人は「昭和二九年一月一六日の委員会の会議録は存在しない。」と最初の自白をし、そして同日尋問された証人渡辺茂里(第二回)もそのように証言しているのであるから、斯様な点からみると、おそらく被告側では原告側から右会議録提出命令の申出があつたので、会議関係綴を調査したが、これを発見することができなかつたので、右のように自白したものと考えられ、而して会議関係綴(前記昭和二七年一一月以降皆川村教育委員会会議関係綴)は被告側から任意に提出されて当裁判所に保管されているのであるから、右会議関係綴の提出保管は、おそらく右昭和三二年一〇月八日の口頭弁論期日又はその直後になされたものと考えられる。

(ハ)  ところが右の如く当裁判所に保管されている会議関係綴の中に、日附の順からみれば、昭和二九年九月一三日の第九回定例会会議録と、同月二三日附の同月二四日臨時会を招集する旨の皆教告示第一三号との間に、乙第一四号証(同年一月二七日の第一回臨時会会議録)を先にし、乙第一三号証(同年一月一六日の第一回定例会会議録)を後にして綴込まれていることが、昭和三四年六月二四日の口頭弁論期日(当日結審)後、たまたま右綴を繰つていた当裁判所によつて発見されたのであるから、従つて前記の如く被告側が右綴を当裁判所に提出して後において、乙第一三・一四号証を偽造して右綴の中に綴り込むことは事実上不可能であるから、原告主張のように右書証が偽造されたものであるとすれば、それ以前に偽造されていなければならない筈である。ところが前記昭和三二年一〇月八日及びそれ以後の口頭弁論期日において取調べを受けた証人渡辺茂里(第二、三回)、同栃木喜三郎、同巻島雄作、同野原保蔵、同片山誠一郎(第一回)等はいずれも会議録を作成しなかつたと証言しているのであつて、証言前にせつかく会議録を偽造しておきながら会議録を作成しなかつたと証言するが如きは事後工作の目的を達しないことになり、不自然で経験則上考えられないことである。のみならず証人渡辺茂里(第一、四回)、同片山誠一郎(第二回)同薄井春夫の各証言、及び成立に争のない甲第四号証によれば、右会議録は県人事委員会の審査の際問題となり、同委員会に提出せられたのであつたが、審査に顕出されないまゝになつたこと、そしてその際右会議録は会議関係綴より取りはずされたのであるが、これを再び綴込む際会議の日附順に従わず綴込まれたものであることが認められる。

(ニ)  以上の事情から判断すると乙第一三・一四号証は真正に作成せられたものと認めるのが相当であり、この点について証人栃木喜三郎、同巻島雄作、同野原保蔵、同渡辺茂里(第二、三回)、同片山誠一郎(第一回)等が会議録は作成されなかつた旨の証言をしたのは、昭和三二年五月九日の口頭弁論において原告訴訟代理人より皆川村教育委員会会議録の提出命令の申立がなされたので、その頃被告側が会議関係綴を調査した際、迂闊にも本件会議録を捜し出せなかつたことから会議録を作成しなかつたものと勘ちがいして、これに適合するように事実を歪曲して証言したためと推測できる。(証人渡辺茂里が第一回の証言では会議録は存在する旨証言していたのに、被告訴訟代理人が会議録が存在しないことを認めた昭和三二年一〇月八日以後の口頭弁論における第二、三回の証言では会議録は作成しなかつたと証言を変更していることはこの間の事情を物語るものと思われる。)

従つて、本件懲戒処分に関する皆川村教育委員会の会議録(乙第一三・一四号証)は適法に作成せられていたと認められるから、被告の自白は真実に反するものであり、自白が真実に合致しないことが証明された以上、その自白は錯誤に出たものと認めることができるから、被告訴訟代理人の右自白の取消は適法というべきである。

(2)  次に原告は、被告の右主張は重大な過失により時機におくれたものとして民事訴訟法第一三九条により却下すべき旨申立てているので、この点を判断するに、被告の自白の取消も同条にいわゆる防禦方法にあたると解すべきところ、被告訴訟代理人は皆川村教育委員会の会議関係綴を日附順に調べ、該当部分に本件会議録を発見することができなかつたので、その存否が訴訟上問題となつた昭和三二年一〇月八日の口頭弁論以来本件会議録が存在しないことを認めたものと思われ、そして再開後の昭和三四年八月一九日の口頭弁論において、当裁判所が発見した会議録について意見を求められて初めて右自白を取消して会議録の存在を主張するに至つたものであるが、前述の如く本件会議録は昭和二九年九月一三日と同月二三日の書類の間に紛れ込んで綴られており、且該綴はいずれも薄い用紙の同じような書類が綴られて容易に発見できない体裁になつており、更に本件懲戒処分に関与した皆川村教育委員、教育長、書記等も右綴の中から本件会議録を発見することができず、その後右綴を任意提出して当裁判所に保管されてからは尚更発見する機会を失い、これらの者が一致して会議録が存在しないと証言して来た従来の証拠調の経過からみて、それより前に被告訴訟代理人において右自白を取消すことが期待される状況にはなかつたと認められるから、重大な過失により時機に遅れたとはいえない。のみならず、被告は右主張と同時に会議録(乙第一三・一四号証)を提出し、原告においてその成立を争つたので証人二名を申請し、右証人尋問とこれに対する原告の反証として申請した証人一名及び原告本人尋問を施行するため三回の口頭弁論が開かれたにすぎないのであるから、著しく訴訟を遅廷せしめるものとも言い得ない。よつて原告の右申立は容れることができない。(ちなみに原告訴訟代理人は、裁判所が本件会議録を発見して弁論を再開したことは、弁論主義の訴訟の建前からみて不当な訴訟指揮である旨意見を述べているが、当裁判所としては、保管中の会議関係綴を繰りひろげていたところ、偶然にも当該会議録らしいものを発見したので、当事者の意見をきくため弁論を再開したものであつて、斯る措置をとることは、紛争の実体を知り且つ真実を究明するためにやむをえないことであり、弁論主義の本質に反しないものと考える。殊に本件は行政訴訟であるから、行政事件訴訟特例法第九条に鑑み、斯る措置は当然許されるものと考える。)

従つて本件懲戒処分を議決した皆川村教育委員会の会議録が存在しないとの原告の主張は理由がない。

(3)  なお、原告主張の前記一月一六日の会議は適法な秘密会に付する議決を経ることなしに終始非公開でなされたとの点、及び仮に被告主張のような会議録が存したとしても前記一月一六日の会議録は皆川村教育委員会規則第一九条第四乃至第六及び第八号に違反するから適法な会議録といえないとの点は、同日の会議で本件懲戒処分が議決せられたのはないので、原告主張の如き瑕疵が存したとしても、本件懲戒処分が違法とならないことは既に述べたとおりであるから、問題は右処分決定がなされた一月二七日の会議に原告主張の如き瑕疵が存するか否かにあるが、前示認定の如く真正に成立したと認められる乙第一四号証によれば、一月二七日の会議は公開により行われ、原告の処分に関する議題につき委員長厚木藤吉郎の発議により委員会にはかつて秘密会に入つたことが認められるので、会議の公開主義(旧教育委員会法第三七条)に違反する点は存せず、又右会議録には皆川村教育委員会規則第一九条に規定する記載事項はすべて記載されていると認められ、他に右認定に反する証拠はないから、この点についても会議の手続に瑕疵が存したということはできない。

(五)  次に原告は皆川村教育委員会が原告を懲戒処分するにつき、ほとんど事実調査、資料収集を行わず、被処分者たる原告に釈明の機会を与えず、関係ない部外者の根拠のない風聞助言等に動かされ、しかも僅か一回の会議で最も重い懲戒免職処分に付したのは、地方公務員法第二七条第一項に違反するのみならず、同法第一三条、教育基本法第六条第二項、憲法第一一条乃至第一四条、第三一条の趣旨にも反するものであるとの主張する(請求原因(四)の(1)(ホ))。

そこで成立に争のない乙第八号証、証人巻島雄作、同野原保蔵、同渡辺茂里(第一、二回)の各証言及び原告本人尋問(第一回)の結果を総合すると、原告の懲戒処分に関し渡辺教育長等皆川村教育委員会事務当局者が赤麻村に赴き、火災の原因状況等を調査するための現場を視察し、赤麻村教育長から事情を聴取し、原告及び栃木英作の失火容疑事件の捜査に当つていた藤岡警察署長、宇都宮地方検察庁栃木支部検察官より捜査の進行状況を聞いたことがあり、これにもとずき前記認定((二)の(2)乃至(4))の如き経過で原告の懲戒処分が決定されたのであるが、その間被処分者たる原告本人からは口頭では勿論書面によつても何等の陳弁説明を聞くことなく、事実調査を十分尽さずして早急に処分決定をしたことが認められる。

もつとも当時原告は右失火被疑事件により勾留されていたので、原告に釈明の機会を与えるのは困難であつたにせよ、いやしくも原告の教育公務員たる身分を奪うような重大な処分をするについては、何等かの方法によつてその弁解をきくべきことは条理上当然に要請されることと考える。然るに皆川村教育委員会は原告の弁解もきかず、右被疑事件の刑事処分も待たずに原告を早急に懲戒免職処分にしたことは(殊に原告本人尋問の結果によれば、右被疑事件は不起訴処分になつたことを考えると)著しく妥当性を欠き、結局皆川村教育委員会は十分な調査を尽さず、皆川村赤麻村両村の強硬な与論に動かされて原告を懲戒免職処分にしたものと認めざるを得ないのであつて、その取扱は公正を欠くというべきである。

そもそも地方公務員法第二七条第一項に「すべて職員の分限及び懲戒については、公正でなければならない。」と規定したのは、職員の分限懲戒に関する根本基準を定めたものであつて、その趣旨はすべて国民は地方公務員法の適用について平等に取り扱われなければならない(同法第一三条)のであるから、職員の分限及び懲戒についても、同法に定める分限及び懲戒に関する規定の定めるところに従い公正に行うことを要し、公平適正を欠く処分又は取扱をしてはならないというにある。従つて本条の規定に違反して明らかに公平適正を欠く処分又は取扱をした場合は懲戒処分の瑕疵を招来するというべきである。而して皆川村教育委員会がなした前記認定の程度の調査によつても原告の所為の概略は知ることができるから、これにもとづき処分庁たる同教育委員会が協議を重ね、原告の所為を以て教育公務員としての信用と名誉を傷つけ、教育公務員としてふきわしくない非行をしたものとして或る程度の懲戒処分をすることは勿論許されるところであるが、本件の場合の如くその取扱が著しく不妥当で条理に反し且つ公正を欠く場合には懲戒処分の瑕疵を招来し、その瑕疵は無効原因とはならないにしても取消原因になるというべきである。

(六)  以上の次第で、本件懲戒処分に関する手続上の瑕疵は、前記(二)において述べた如く、昭和二九年一月二七日原告の懲戒免職処分を決定した皆川村教育委員会の会議が旧教育委員会法第三四条第三項第四項に違背し全く会議招集の告示なしに開催された点、及び前記(五)において述べた如く、皆川村教育委員会が右会議において十分な調査資料に基づかず且つ被処分者たる原告の弁解をきかずまたその機会も与えずに著しく不妥当不公正な取扱いのもとに処分を決定した点、の二点に存し、而してこれらの瑕疵は既述の如くいずれも本件懲戒処分の無効を来すものとは言い難いがその取消事由となるものであるから、爾余の争点を判断するまでもなく本件懲戒処分は取消を免れないものであるが、原告は本件懲戒処分の無効確認の請求原因として、以上の手続に関する瑕疵のほかに懲戒事由の不存在をも主張するので更に懲戒事由の存在をも判断しなければならない。

第三(懲戒免職事由の存否について)

(一)  原告に被告主張のような懲戒免職事由が存在したか否かについては、被告主張の事由はすべて昭和二九年一月二日夜半発生した赤麻中学校の火災に関する原告の所為に尽きるので、まず当日の原告の行動を逐一検討するに、成立に争のない甲第一号証、乙第三乃至第一〇号証、証人平彰丸、同五十畑豊、同栃木英作、同小林潔、同永島栄一、同山田功吉、同高際金七、同木村好次郎、同平松昇、同高際スイの各証言及び原告本人尋問(第一回)の結果を総合すると次の事実が認められる。

(1)  原告は昭和二九年一月二日かつて奉職した赤麻中学校昭和二五年度卒業生の同窓会に招待されたので、午前一〇時頃同校に赴いて同窓会に出席し、午後二時過ぎに会を終えた。そこで同校正門前で雑貨商を営む木村好次郎方に年始に行き、同家で自転車を借りて二、三軒年始廻りを済ませた後、午後三時半頃から右木村方において友人の三鴨中学校教諭平彰丸を加えて酒宴を催し、更に三柴教諭、栃木英作教諭もこれに加わつた。栃木英作は赤麻中学校教員で当日の宿直員であつたが、木村に招待されて右酒宴に加わり、始めて原告と対面したものである。

(2)  同日午後七時乃至八時頃原告は平と共々木村方を辞し、近所の高際金七方に立寄つたが、既に原告は相当酩酊しており、更に高際方で飲酒したので、酩酊の末座敷から台所に転げ落ちる失態まで演じた。同人方で酒宴を続けるうち平と高際との間にこれから藤岡町へ行つて酒を飲もうという相談が纒つたが、平は原告が相当酩酊しているため連れて行く訳にはいかず、赤麻中学校に先程一緒に飲酒した栃木英作が宿直していることを思い出し、午後九時頃同校宿直室に寝かせようと足ものとおぼつかない原告を支えながら右宿直室に連れ込んだ。その頃、右宿直室には同窓会を終つてなお学校に残つていた青年達四、五名が、酒を飲んで気分を害した小林潔を取り囲んで介抱していたが、平は原告を土足のまま連れ込んで青年達に向つて、「お前等は何をしているのだ。」と云いながら、宿直室四畳の間の入口より向つて右隅に敷いてあつた布団の上に原告を寝かせ、そのまゝ退室した。続いて小林潔等も同室から退去したが、その際小林に気付いた原告は、布団の上に座り込んで同人に対し「お前の兄貴はマラソンの選手だから、お前もしつかりしろ。」という趣旨の激励の言葉を与えている。

(3)  宿直員栃木英作は、原告が一組しかない宿直室の布団に寝込んでしまつたのでは困り果て、小使室に相談にいつたりしていたが、偶々小林潔から家まで送つてもらいたいと頼まれたので、そのまま宿直の任務を放棄して小林を家まで見送り、同家で話し込んでいた。

(4)  翌三日午前一時前頃、物の焼ける臭気を変に思つた赤麻小学校の校仕筑井ノブが、赤麻中学校の校仕高際スイを起して中学校の校舎を見廻つたところ、宿直室附近より火の手が上つているので、非常ベルを鳴らして火災の発生を報知し、程なく消火作業が開始されたが、遂に同校舎三棟を焼失するに至つた。

以上の事実が認められ、他に右認定を動かすに足る証拠は存しない。

(二)  そこで被告主張の懲戒事由について検討するに、

(1)  原告が泥酔して土足で赤麻中学校宿直室に侵入した点について。

前記認定のとおり右事実はこれを認めることができる。ところで成立に争のない甲第一号証、乙第五号証、証人平彰丸、同永島栄一、同小林潔の各証言によれば、原告を宿直室に連れ込んだのは平の独断で、原告の意思によるものではなく、原告は当時相当酩酊していたが、他方原告は平にかつぎ込まれたのではなく、同人と肩を組むようにして校内に入つてきたこと、宿直室において小林潔に気付き筋道の通つた言葉をかけていること等が認められるから、原告が完全に意識を喪失していたとは考えられず、原告は酩酊のためいわゆる心神耗弱状態にあつたものと認めるのが相当である。

而して原告が意識がおぼつかなくなるまで飲酒酩酊したうえ土足で校舎内に入り宿直室に就寝して宿直員の職務を妨げたことは全体の奉仕者として人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者たりうる良識ある国民の育成を期すべき使命を自覚してその職責の遂行に努めなければならない教育公務員(教育基本法第一条、第六条第二項)としての、名誉と信用を傷つける行為(地方公務員法第三三条)であるというべきである。

この点につき原告は、右は原告の全く個人生活の分野に層する純粋な私行であり、泥酔するほど飲酒したとて、また土足で校舎に侵入したとて、地方公務員法第二九条第一項第三号に規定する「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」とはならないと主張するけれども、勤務外の所為であつても、それが公務員(この場合は教育公務員)関係における秩序維持のために必要な義務として一般に認識せられているものに反するときは、右法条にいわゆる「非行」に該当するものであり、原告の右所為は、前述のとおり教育本来の使命を害し、教育公務員の信用を傷つけ、名誉を失墜せしめるものであつて、右法条にいわゆる「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」というべきである。

(2)  原告が右宿直室に居合せた青年達に暴言を吐きあばれたという点について。

成立に争のない甲第一号証、乙第四号証、同第五号証、同第一〇号証、証人平彰丸、同小林潔、同永島栄一、同山田功吉、同五十畑豊の各証言によれば、原告が平と共に宿直室に入つてきて、居合せた青年達に対し何か言葉をかけたことは認められるが、それが暴言に価するような言葉であつたかどうかは疑しく、又青年達は自発的に退室したもので原告が無理矢理に追い出したものでないことが認められ、又原告が宿直室においてあばれた事実は全然なかつたことが前記各証拠によつて認められる。

従つてこの点に関し原告に被告主張の懲戒事由は存しない。

(3)  火災は原告がかぶつていた布団が偶々部屋の中にあつた火鉢の炭火に触れて発生したものと認められるという点について。

原告本人尋問(第一回)の結果によると、原告は「木村好次郎方を平彰丸と共に辞して以後は判然した記憶がない。目を醒したときは宿直室であつた。何で目を醒したかも記憶にないが横の畳が燃えていたので飛び起き、夢中で手足で踏み消した。一時消し止めたと思つたら、隅の方の畳と板の間の間から火が出たので、消そうとして襟巻でたゝいたが消えないので飛び出したら職員室の前の廊下だつたので学校であることを意識した。発火の場所はわからないが畳の隅に火があつたと考えられる状況であつた。」旨供述し、成立に争のない乙第八号証によれば、原告は失火被疑事件の捜査当初から同趣旨の供述をしていることが認められる。

そして同号証及び乙第九号証によれば、火災は宿直室内部又はその周辺から発生したこと、火災の原因として漏電及び部外者の放火の蓋然性は少いこと、火災後宿直室内の入口から向つて左側のくぼみから一尺乃至八寸位離れた地点から高さ一尺四、五寸、中央部の直経八、九寸位の手あぶり用瀬戸火鉢が発見されたこと、右火鉢は職員室にあるのと同じものであり、宿直室には火鉢を入れないことになつていたこと、当日栃木英作は職員室で火鉢を使用していたことなどが認められ、又証人平彰丸が図示した宿直室内の青年達が休んでいた位置と右火鉢が発見された位置とがほゞ一致することが認められるから、かような点からみると、証人栃木英作の証言及び同人の県人事委員会における証言を記載した乙第三号証中の「宿直室に火を入れた覚えは全くない。」との点は措信できず、右火鉢は宿直室で休んでいた青年達が暖をとるため自ら、或は栃木英作が好意的に、宿直室に運んで来て使用していたものと認められ、且つ右火鉢が火災の原因である蓋然性が大きいといわなければならない。

然し乍ら、原告がかぶつていた布団が隅々部屋の中にあつた火鉢の炭火に触れて発生したものと認定するに足る確実な証拠は存しない。すなわち前記乙第八号証によれば、原告のかぶつていた布団の端と火鉢の発見された位置との距りは一尺二、三寸であつたと認められるから、酩酊の末就寝した原告が寝返りをうち、或は布団を蹴つて火鉢の炭火に触れる可能性はあり得るけれども、他方青年達が退室に際し、火鉢を入口の障子に接着して置き或は他の物に引火し易い状態に置いたまゝ残火を始末しないで退去したことも十分に考えられるから、原告の右所為と火災発生に困果関係ありと認定することは困難である。

更に、地方公務員法第二九条第一項に定める懲戒事由は、公務員の意思行為にもとづく非行を対象とするものであり、意思を伴わない単純な反射運動は所謂行為ではないから、懲戒事由たり得ないこと明白である。従つて仮りに原告のかぶつていた布団が火鉢の炭火に触れて火災が発生したとしても、原告は酩酊して睡眠中で全く行為能力を失つた状態にあつたものであるから、かゝる状態において原告の無意識の運動によりかゝる結果を招来したとしても、原告が就寝前室内に火鉢があることを認識しておりこれを注意すべき義務が期待されない限り、原告の責任を追及することはできない。ところで、本件においては、火鉢は原告が使用したものでないことは無論、原告は心神耗弱状態に寝せられてしまつたのであつて、火鉢の存在は全く認識していないし、認識できる状態にもなかつたのであるから、火鉢の残火を始末して火災の発生を未然に防止すべき責任は原告にはなく、結局右義務は火鉢を使用した者、或は当日の同中学校における火気取扱責任者に存するというべきである。従つて若し仮りに火鉢に就寝中の原告がかぶつていた布団の一端が触れ火災が発生したとしても、原告に失火の責任ありということはできない。

よつて被告主張の懲戒事由(3)はその証明がないというべきである。

(4)  火災発生後校舎内で筑井ノブ、高際スイが原告に出会つたところ、原告は「火事は大丈夫」と繰り返し述べ、人々が懸命に消火に努めているのに拘らず校外に立去つたという点について。

成立に争のない乙第九号証によれば、高際スイが火事で助けてくれと怒鳴りながら職員室前の廊下に至つたとき、原告に出会つて、原告から「火事は大丈夫」と二言三言いわれたというのであるが、それは出火のため慌てゝいる際の、しかも馳足ですれ違つた一瞬間の出来事であつて、原告の言葉の内容が果してそのとおりであつたかどうか疑問であるし、そのこと自体懲戒事由たり得るような重大性をもつものではなく、一方原告本人(第一回)の尋問の結果及び成立に争のない乙第六、七号証によれば、原告は前記(二)の(3)で述べたように消火につとめ、廊下に飛び出してからもバケツをもつて水をかけたが、その頃は既に容易に消える事態ではなかつたため、校舎から出て為すすべもなく茫然として学校附近にたたずんでいたことが認められるのであつて、酩酊の末就寝した部屋から火を発し校舎が炎上するのを目前にして茫然自失の状態にあつた原告に対し、始終消火作業に尽力すべきことを求めるのは難きを強いるものといわなければならない。

従つてこの点に関する被告主張の事由は懲戒事由たり得ないものである。

(5)  宿直室に就寝した原告に対し栃木英作が退去求めたところ、原告から「貴様が出て行け」と暴言をあびせられ、己むなく同人は宿直の任務を放棄したもので、原告のかゝる所為がなかつたならば栃木もその責任を放棄せず火災も発生しなかつたであろうと認められるという点について。

栃木英作の栃木県人事委員会における証言を記載した乙第三号証によると「同人が職員室にいるとき原告と平が酔つて宿直室に入り込み、間もなく平が出て行き、更に青年達が出て行つた。栃木は玄関の踊り場で青年達と話をしていたが、原告が大声をはり上げたりして騒ぐので、宿直室へ行つて原告に対し「今日宿直だから外で泊まつてくれ」といつたところ、原告は「貴様何をいつているんだ。出て行くのなら貴様が出て行け。」といつて起き上るので恐怖心を抱いた。暫く様子を見ていると寝込む様子だつたので、スイツチを切つて電気を消し、布団をかけてやつて退室した。その間青年達は心配そうに玄関のところで見ていた。」というのであるが、青年達が宿直室から退去後原告が大声で騒いでいたような事実を認めるに足る証拠は他に存せず、また乙第五号証、証人小林潔、同山田功吉の各証言によると、栃木が宿直室に入つたことは青年達において目撃していないことが認められ、更に証人栃木英作の証言によると、最初小林に宿直室に置いた背広を取りにいつてもらつたところ、原告は小林に対して貴様出て行けと怒鳴つていたという点以外は乙第三号証とほぼ同一であつたが、乙第四号証によれば、小林潔は一旦宿直室を出てからは宿直室に出入りしていないことが認められるので、右栃木英作の証言のみを以てしては、未だ原告が栃木に被告主張の暴言をあびせたとは断定できない。

仮りに原告がそのような言辞を弄したとしても、原告が暴力をもつて栃木を追い出したものではないのであるから、これによつて栃木が校内にとゞまることが不可能となつた訳ではなく、又如何に先輩だとはいえ酩酊した原告の一片の言辞によつて軽々しく宿直の職務を放棄し得るものではないのであつて、栃木としては宿直の職務を遂行し得るよう適当な手段を講ずべきであり、その職務を放棄することは許されないところである。

而して原告の所為が火災発生の原因であるとして懲戒事由となし得るためには、単に一つの事実が他の事実の原因であり、従つて他の事実はその結果であるという自然的因果関係があれば足るのではなく、その因果関係が法律上重要なものと評価し得るものでなければならない。その意味で原告が宿直室で就寝しなければ火災が発生しなかつたであろうという事実を想定して、それ以外のすべての要因(特にこの場合前記(二)の(3)において説明した在室者の残り火の不始末、栃木英作の軽卒な宿直放棄等が考えられねばならない)を捨象して、直ちに原告の懲戒事由とすることは許されないのであつて、本件においては原告が前後不覚になる程泥酔して宿直室に入り込み、そこに寝こんでしまつたことは、宿直員たる栃木英作の職務の遂行を妨げたことになり、斯る点において原告の所為は前記(二)の(1)において述べた如く、教育公務員たるにふさわしくない非行と言わなければならないけれども、この程度の妨害によつては、栃木の宿直の職務の遂行を不可能ならしめるものではないのであるから、栃木の宿直義務の放棄及び在室者の残り火の不始末こそ出火に因果関係を有するものとして責任を追及せらるべきものであつて、既述の如く自己の意思に基いて宿直室へ侵入したものでもなく、宿直室へ寝込んで了つたことも、室内に火鉢があることも知らなかつた原告としては、たとえその睡眠中の無意識の反射運動によつて、布団の端が火鉢の炭火に触れて出火したとしても、これを目して原告の所為が出火に因果関係ありとして懲戒事由となし得ないのである。

従つてこの点に関する被告主張の事由は、懲戒事由とすることはできない。

(三)  以上の次第であるから、被告主張の懲戒事由のうち原告が泥酔して土足で赤麻中学校宿直室に立入つたことは地方公務員法第二九条第一項第三号の「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」として懲戒事由たり得るが、その余の点はすべて懲戒事由とすることができない。

而して公務員に懲戒事由が存する場合に、如何なる程度の懲戒処分をなすべきか、即ち法定の懲戒処分中、戒告、減給、停職及び免職のいずれの処分をなすかは、任免権者の自由裁量に委ねられているところであるが、その処分は公正妥当に行われねばならない(同法第二七条第一項)のであつて、認定した懲戒事由たる事実に相当する処分を選択すべきものであり、事実の判断において著しく妥当を欠き、又軽微な事由について重大な処分をするときは、自由裁量の限界を逸脱したものとして違法な処分というべきである。

これを本件についてみるに皆川村教育委員会が懲戒事由として掲げた事実は前記(二)の(1)の点を除きすべて懲戒処分に該当しないものであるから、その判断は著しく妥当を欠くものであり、且つ前記(二)の(1)の事由は職務との関連性が比較的薄く、内容も軽微で、他の懲戒処分に値いするとしても、免職という如き公務員の身分を剥奪するに値いするような重大な事由とは到底認めることができないから、皆川村教育委員会の原告に対する本件懲戒免職処分は自由裁量の限界を超えた違法な処分であつて、無効原因を招来する瑕疵とはいえないまでも、取消原因たり得るというべきである。

第四(結論)

以上検討したところにより、昭和二九年一月二七日皆川村教育委員会が原告に対して決議した本件懲戒免職処分は、その手続の面において適法な招集告示をせずに委員会を開催した点、及びその委員会において、十分な調査資料に基かず、且つ被処分者たる原告の弁解をきかず、またその機会も与えずに、著しく不妥当不公正な取扱いのもとに処分を決定した点の二つの瑕疵があり、またその処分の内容において、原告に存する懲戒事由の認定を認り、その処分の裁量の範囲を逸脱して過重な懲戒免職処分をした瑕疵が存する。そしてこれら三つの瑕疵は本件懲戒処分の無効を来すものとは言い難いが、取消事由になるものと考える。

以上の理由により本件懲戒免職処分は違法であつて取消を免れないところ、右処分を取消すことが公共の福祉に適合しないと認められる何等の事情も存しない。

よつて、本件懲戒免職処分の無効確認を求める原告の本位的請求は失当としてこれを棄却すべく、右処分の取消を求める原告の予備的請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石沢三千雄 吉江清景 竹田稔)

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